港町ブルース
2009年6月30日 14:22 - cityside (life)
4月の終わり。
内田繁さん(インテリアデザイナー)と六本木の中華料理店で酒を飲んだ。もともとは、あるプロジェクトのことで呼ばれたのだが、結局は横浜の話に明け暮れた。ブレンダ・リーもそのステージに立ったというバンドホテルのシェルルーム、娼婦が場内を1周するジャズクラブ(内田さんは当時、スチールギターを弾いていたのだそうだ)、矢作俊彦の小説にも登場するバー、旅回りのサーカス一座、中華とは呼べそうにない独特の風味を持った揚げワンタンの甘酢あんかけ、運河の水上生活者、等々。古き良き横浜について。
内田さん曰く、ハマっ子には3つの条件があるという。1)横浜市歌が唱えること。2)左巻きの甘食を食べていたこと。3)ホンチを知っていること。東京と横浜のミックス(混血児)を自認している僕も、この条件は1つも当て嵌まらない。もちろん、世代が違うのだ。
さて、横浜市歌は、横浜市立の学校を卒業した人々は基本的には歌えるのだそうで、調べによると1909年に開催された開港50年記念祝賀会の為に森鴎外が作詞した。甘食は、通常はつるりとした円錐状の平たいスポンジケーキのような菓子パンのようなもののことを指すが、横浜のそれは渦を巻いていたのだろう。
そして、問題のホンチ。ホンチというのは柾の木についているハエトリグモの1種の呼称で、それを闘わせる遊びが戦後の一時期、子供たちの間で大流行したのだそうだ。一時期というのは、昭和20年代から30年代にかけてのことで、横浜の他には世田谷や四国の一部で行われていたという話もある。ホンチは、「ホンチ箱」に入れられて持ち歩かれた。「ホンチ箱」は、内側の空間が6つに仕切られた煙草のボックス程度の大きさの木箱で、当時はどこの駄菓子屋にも置いてあったのだそうで、一説によると全盛期には年間60万個が生産された。内田さんは、「ホンチ箱」のスケッチを描いてくれた。スケッチにある通り、「ホンチ」の他にも、薔薇についている蜘蛛を「バラボン」、大型で袋状の巣をつくる蜘蛛を「地ブクロ」と呼んで愛着を抱いていたというから、興味深い。
今年は、横浜開港150周年に付き、色々な方と横浜についての話をする機会がある。内田繁さんとは、「10年後を目標に根岸に移住する計画を立てよう」ということで落ち着いた。実現してもしなくても、その頃までは、古き良き横浜の匂いには残っていて貰わないと困る。そういえば、「スリーマティーニ」にモヒートを飲みに行く季節になった。
H.



