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多摩川アートラインプロジェクト

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« 永平寺への道(On The Road) | TOP PAGE | Weekend Diary 2009.3.27-29 »

ホテルパシフィック東京(1)

2009年3月27日 16:34 - cityside (hotel)

パシフィック2

 「ホテルパシフィック東京」(1971年営業開始、設計:坂倉建築研究所)が2010年秋に閉鎖されることと、「苗場プリンスホテル」が季節営業になることが発表された。「東京ステーションホテル」の煤けたバーと廊下も、「六本木プリンスホテル」の雑踏とプールも、「キャピトル東急ホテル」の緊張感のある風格と庭園も、今はもうない。

パシフィック新聞1

 2000年以降、東京のホテル事情は大きく変わった。外資系を中心とする大型の最高級ホテルの進出が相次ぎ、2003年問題、それにつづく2007年問題として大いに騒がれた。今は風化してしまったけれど、ラグジュアリーホテルズやヒップホテルズといった言葉も流行した。既存のホテル業界が震撼する一方で、東京での都市生活がより複雑でスリリングなものになると思われた。人々はそれを期待したし、少なからず僕もそのひとりだった。しかし、結論から言えば、その流れがもたらしたものは多様化や複雑化ではなく、一元化であり単純化だった。そして来年、観光とアミューズメントの「品川プリンスホテル」、都会的でクールなプライヴェート空間の「ストリングスホテル東京」、複層的な芳醇さが潜むパブリック空間の「ホテルパシフィック東京」という品川駅前の多様性が崩れることとなった。

 確かに、2000年以降の競争の激化は、東京のホテルの質をある一定の方向に大幅に向上させた。モダン且つデコラティブな内装、必要以上に広い客室面積、こだわった寝具とアメニティ、ゆったりとしたエステとジム、恭しいオペレーション、最高品質のプライヴェート空間と引き換えの1室5万円の宿泊料。そして、その代償として失ったものは、多様な人々の受け皿として都市に内包され、同時に都市を内包していた「街としてのホテル」だ。打ち合せに最適な誰でも出入りが出来るメインダイニング、数種類のレストランと売店とショッピングモール、都市生活者の止まり木としてのしっとりとしたバー、必要以上に立ち入らないオペレーション、それらを包むホテルとしてのプロポーションと佇まい(建築という要素がホテルから抜けたことは非常に残念だ)。様々な要素が混じり合い重層化した公共空間としてのホテルは、都心には数えるほどしかなくなってしまった(旧御三家と呼ばれる「ホテルオークラ」「帝国ホテル」「ホテルニューオータニ」以外で、そうした雰囲気を持っているのは「セルリアンタワー東急ホテル」「ANAインターコンチネンタルホテル東京」「シェラトン都ホテル東京」ぐらいではないだろうか)。他方、ヒップホテルズと呼ばれた小規模で個性的なホテル群も、昨年末までの地価高騰の煽りを受け、都心では今一つ定着せずに途絶えてしまった(小規模で個性的なホテルは、「ホテル・イル・パラッツォ(休館中)」「ザ・ルイガンズ」「ウィズ・ザ・スタイル」を誇る福岡の方が、よほどワクワクさせるし、生活の中にある)。また、「ある一定の方向」という文脈に限っても、1994年開業の「パークハイアット東京」を越える複雑で趣味のいい提案は、2000年以降残念ながらなかったのではないかと僕は思う(「マンダリン・オリエンタル東京」のオペレーションは素晴らしいが、都市のダイナミズムとは無関係だ)。

パシフィック3

 昨年、総合病院に見舞いに訪れることが多かった僕は、「かつて、老若男女にとって都市を象徴するパブリックスペースはデパートだった。70年代にその役割りはホテルに移り、90年代後半からはブランクがつづいた。でも、ひょっとするとそうした役割りを引き継ぐのは病院なのかもしれない」などと感じた。それほど、現在の総合病院には複層的なダイナミズムがある。しかし、それでもやはり、僕はホテルが好きなのだ。マーティン・ドレスラーとは違うけれど、そこに夢も見るのだ。先日、「ホテルニューグランド」(1927年営業開始、設計:渡辺仁)の会長の原範行さん(1929年、パリ生まれ)にお会いした際、僕は自分の活動の話もそこそこにニューグランドへの思いの丈をお伝えしないではいられなかった。原さんは穏やかに微笑んで、「文化や社会に貢献していたら、やがて自分に返ってきますよ。そう思うでしょ?」とおっしゃった。取り留めがなく長くなってしまったので、「ホテルパシフィック東京」については機会をあらためることにして(なんと言っても、施工を請け負った東急建設の当時の担当者が、僕と机を並べているのだ)、創成期からの老舗ホテルのオーナーの言葉で、一先ずは締めくくりたい。

H.

About Tanaka Hiroto

Self-Consciousness:
エリアデザイナー、活動家、小説家
Job:
エリアデザイン、市民活動、企業経営
Lifework:
海、アート
Hobby:
散歩、写真、ピクニック
Longing:
FMのナビゲーター、海賊

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