2008年の読書ノート
2008年12月26日 09:43 - creationside (books)
年を取ったということなのか、消耗しているということなのか、今年は酒を飲んでベッドに入るとすぐに寝てしまうようになり、しかも大抵は酒を飲んでいるのだが、それでもヘッドボードに置いてある本に手を伸ばして読んでみようとしない日はなかったと言ってよく、それ程、僕にとっての本は自由への査証なのだ。
『ロクス・ソルス』で初めてレーモン・ルーセル(あまり小説を読まない読者のための注釈:シュールレアリスムの文脈で誰かが取り上げたということで取り上げられることが多い20世紀初頭のフランス人作家)の小説に触れたが、彼の文体は衝撃だった。尋常でないほどに細かく即物的なディテールにはリリックがなく、一文一文は平易で簡潔なのだが全体像を組み立てようとすると容易にはいかず、神話のような風情がありながらもストーリーと呼べるようなものは一切ない。2006年に亡くなった小島信夫(あまり小説を読まない読者のための注釈:翻訳が不可能なためにノーベル賞が取れなかったのだと日本中が誇りに思ってもいい20世紀を代表する小説家)の『菅野満子の手紙』は、これ以上ないと思われるほどの書簡体小説であり、これ以上ないと思われるほどの恋愛小説であると紹介したとしても何の誇張でもないが、そうした紹介が馬鹿らしいほどに小説を読む悦びが味わえる。『菅野満子の手紙』を小説ではないのではないかという人には、では『菅野満子の手紙』を読んでいる時の悦びは小説以外の何なのかと言いたい。
極端な寡作で知られていたはずの矢作俊彦(あまり小説を読まない読者のための注釈:一般に村上春樹を漱石とすると矢作俊彦は鴎外に例えられる)の近年の数と質には目を見張るものがある。『ららら科學の子』『傷だらけの天使』。そして、2004年の刊行以来、何度読んでも飽きることのない『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』。軽妙な比喩、都会的な道具立て、ウィットに富んだ会話、鋭い社会風刺、それらを表面だけに留めない卓越した文章力。そんな褒め言葉をいくら並べ立てたところで彼の小説の魅力は伝わらない。正直に打ち明けると、僕はレイモンド・チャンドラーの原書よりも清水俊二訳のチャンドラーが、それよりもさらに矢作俊彦が好きなのだ。もう1冊、高橋源一郎(あまり小説を読まない読者のための注釈:一般に村上春樹はストーリーに偏重し高橋源一郎は言葉に偏重していったと言われる)の『いつかソウル・トレインに乗る日まで』も、さすがの出来栄えだった。片岡義男を思わせる前半から、徐々に後半に向けて小説としての体裁が破綻し詩的断片になってゆくのだが、中盤には『さようなら、ギャングたち』の第一部のラスト(キャラウェイを墓地へと連れてゆく場面)を彷彿とさせる独特のリリックがあって、それだけで読んでよかったと思ってしまった。
2009年には、保坂和志と村上春樹の長編が刊行されることを期待したい。そうでなくても、僕のベッドサイドにはざっと50冊のまだ読んでない本(レリス、ペレーヴィン、ベケット、青木淳悟、ガルシア=マルケス、ジャック・ル・ゴフ、武満徹、ゴダール、、、)が山積みになっているのだけれどね。
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H.



