筑紫哲也さん
2008年11月13日 15:53 - cityside (life)
大学時代に何度かお会いした戦争に敏感なリベラリストの先輩、筑紫哲也さんが亡くなったのは想像よりもショックだった。
個人的な話になるが、先日、ケーブルTVが芸術の秋にちなんだ「私が影響を受けた芸術家」というようなインタビューに来て、その時は考えている暇がなかったから、ヴァージニア・ウルフについてしゃべった。オンエアは見ていないし、見る予定もないのだけれど。造形(建築やデザインやアート)や音楽と文学では、僕の態度はかなり異なるのだが、何れにしても社会性の一方でそういった形而上学的な観念と欲求をつなぎ止めておくことに、あるいはその逆に、一頃よりもある種の揺るぎなさというか精神的、方法論的な折り合いを感じつつある。あとは、それにどう向かうかだ。
そのことと筑紫哲也さんとどのような関係があるのかと聞かれても、仄かにある、としか言えない。僕が経済や政治や社会と対峙しながら形而上学的なことがらについて考えるとき、あるいは表すとき、決して具体的に思い浮かべたりはしないのだけれど(これからは思い浮かべることもあるかもしれない)筑紫さんという存在がどこかにあったのだ、唯一にしてスタンダードな先人(サンプル)としての筑紫さんの存在が作用していたのだということを、亡くなってから自覚した。僕は別段、筑紫さんの個別の論評の賛同者であったわけではないので(柔和にして頑固な彼の姿勢にはどちらかといえば好感を抱いていたけれど)、それは意外な発見だった。それぐらい、日本には(世界にも)、社会に身を置きながら文化の主体者であるといった、あるいは文化に身を置きながら社会の主体者であるといったリベラリストの存在が希薄なのだ。
宮崎駿さんが筑紫哲也さんに対して「この金融危機のなかで、彼ならば新しい社会の枠組みを思い、さぞかしワクワクしたことでしょう」という内容のメッセージを寄せていた。その通りだと思う。偶然にも、筑紫さんが亡くなった翌日に日興コーディアル証券で講演をさせて頂いたので、1時間のスピーチの最後にそのことに触れて、僕に出来るささやかな哀悼とした。
僕らの世代は「NEWS23・第2部」(89〜97年)で育った。だから今だって、井上陽水の「最後のニュース」や石川セリの「翼」が流れてくるようなのだ。
今 あなたにGood−Night
ただ あなたにGood−Bye (井上陽水「最後のニュース」より)
H.


