小説における会話
2008年9月 9日 09:20 - creationside (novel)
ジョン・トラボルタのように、指を高く掲げたくなる秋晴れだ。
たまには新しい日本の作家の小説も読まなければと思い、綿矢りさの『夢を与える』を読んでみた。なかなかの腕前で、作品世界のスケールこそ大きくはないが、小説と呼んでいい代物になっていることに驚いた。巧い!しかし、如何せん男性登場人物とその会話が記号化されていて、ペラペラなのだ。村上春樹や村上龍や高橋源一郎の女性、山田詠美や江國香織や川上弘美の男性と同じように(誤解のないように言っておくが、僕は彼らの小説で育った)。小島信夫では決してそのようなことはない。確かに、男性には女性を、女性には男性を記号化して楽しむという一面があるし(それが恋愛と言えなくもない)、都市性とは記号化であるとも言える。けれども、会話の文体をデフォルメするような安易なこと(実際の生活では性別による会話の文体の差は残念ながら殆んどない)でいいのだろうか。抽象度をあげて記号化して何かをブランクにするような小説を書くことに意味があるのだろうか。難しい問題だ。これは、僕自身の手で解かなければならない。次は、前から読みたかった青木淳悟を読もう。
H.


