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「鎌倉の杜」オープンハウス
2008年3月24日 10:02 - creationside (architecture)
赤坂サカスがオープンしたその日、僕は室伏次郎さん設計の「鎌倉の杜」のオープンハウスを訪れた。案内状にはこう書いてあった。「線路の近くですが、杜のような特別な場所です。構築された外部に囲まれた、内部のような外部のような。」(建築家室伏次郎さんについては「『梅屋敷ハウス』竣工 オープンハウス」の項をご参照下さい。)
鎌倉駅から横須賀線の線路伝いに15分ほど歩くと、その道は鎌倉ならではの切り通しに沿った人ひとりがやっと通れるぐらいの幅の砂利道に代わり(ブロッコリー畑などがある)、さらに3分程歩いたところに一目でそれと判るようにして「鎌倉の杜」はあった。家主のセカンドハウスとして建てられた木造2階建ての住宅だ。
結界のような堅固さをもって構築されているコンクリートの基礎と木の外柱。それにもかかわらず、全てが縁側と言っていいような中間的領域の1階、外柱と寝室のガラス壁面とに挟まれた1階と2階をつなぐ階段状の外廊下とバルコニー、眼前に広がる切り通しと手が届きそうなほどに一体となったガラス張りの寝室、どこまでが敷地でどこからが周辺の草むらか判らないアプローチ。「鎌倉の杜」は、まさに「構築された外部に囲まれた、内部のような外部のような」、確固として曖昧な建築だった。
外廊下へと上がるタラップ代わりの木製のボックスには、「気が向いた人は、自己責任でのぼってください」という趣旨の張り紙があり、もちろん僕は気が向いたのでのぼった。/1階と2階をつなぐ階段状の外廊下は、外柱と寝室のガラス壁面に挟まれた「内部のような外部のような」この建物を象徴している不思議が空間だ。グレーチングに御影の玉石を敷き詰め、中間的領域における身体の儀式性を高めていて、たまらなく楽しい。/その外廊下は同じく中間的領域のバルコニーへとつづく。バルコニーは、茶室の躙り口と寝室の入り口に面しているのだが、通り抜けるのも難しい小さな躙り口から入る意外に広い茶室はツリーハウスのようで、そこで寝泊まりしたいと思うぐらいに豊かな空間だ。/一面のガラスを隔てて切り通しに面した寝室に入ると、室伏さんは僕を隣りに座らせ、「この景色がこの建物の財産なの。自然とも人工とも違って、植物がほどよく絡まり合ってるでしょ。」とおっしゃった。粗い木目の床材はいかにも彼らしく、西日を映した天井には外柱の影が踊っていた。/今度は内階段を通って、それ自体が縁側であるかのような1階へ下りる。暖炉を真ん中に置いて左右に分割されたスペースの細部は、適切としかいいようのない人間的なスケールで、春夏秋冬に「野点」のようなこの建築の入り口に相応しい、包容力を備えている。
知的にして寛容、挑戦的だけれど威圧感はなく、建築的な剛性を基盤としているが中間領域的な包容力があり、ボリュームとしか言いようのない空間の全体性は主張しないが綿密な細部のスケールとディテールによって組み上げられている。室伏さんの建築は、室伏さん自身のようでもある。
帰りの道すがら、近くを歩いていた僕よりも若い建築家の一団が「やっぱり凄い。触発されたよ。俺もやらなきゃな。」と話しているのが耳に入って来たが、僕も同じ気持ちだった。だから、僕は必要以上に一緒に行った友人に室伏さんの建築や人となりについて話すことになり、彼女は「それってもの凄くいい人ってことじゃない。」と言い、僕は「そうなんだよ。」と応えた。
ところで、この日、鎌倉に行く前に北鎌倉に寄り、和菓子屋「こまき」で手土産を買った。「こまき」は僕のお気に入りの和菓子屋の1つで、常に季節の生菓子1種類だけしか置いてない。今回は「早蕨」という練り切りだったのだけれど、6月に出る「紫陽花」は明月院の本物のアジサイよりも美しく、そんな生菓子と抹茶を頂いてるうちに、なんだか有り難いような気持ちになるのはいつものことなのだけれど、そうした現象は洋菓子や洋食を前にしたときには起らない。例えば、僕の祖母は今でも食事の前後には手を合わせる習慣を持っていて、彼女の説明をまとめると「食材を作ってくれた自然の恵みと生産者、調理をしてくれた人への感謝、こうして健康で食べられることへの感謝」という趣旨なのだそうだが、それだけならばフレンチを前にしても同じ気持ちになるはずだけれど、そうはならないのはどうしてだろうというようなことを、オープンハウスの最中にもずっと考えていたし、それが「鎌倉の杜」にもまんざら無関係ではないような気がしていた。
その日から一夜明けて駅までの道を歩いているときに、僕はふと、それは「八百万への信仰」なのではないかと思い当たった。こんなふうに言ってしまえば至極当然のことのようではあるが、僕が感じた小さな和菓子屋や季節の生菓子に対する有り難さも、祖母が食事のときに抱く感謝も、それは個々の自然を司る八百万の総体へのものであって、一神教的なメンタリティとの関連性が薄いから、より日本的なるものを前にしたときに強く湧いてくるのではないかということが、前日に体感した鎌倉の切り通しとそこに建てられた小さな家を通して、はっきりとリアルに感じられた。
H.

















