冬の初め、井の頭恩賜公園
2007年12月10日 10:09 - cityside (urbandesign)
リートによる不動産開発等と違って、僕らの活動は非営利事業にしろ営利事業にしろ先ずはその場所に行ってみることから始まるのだけれど、夏以降はどうも忙しくてそうした場所に行けずにいたので年内は色々と見て歩かなければならない。
というわけで、「井の頭恩賜公園」と「ハーモニカ横丁」についても同様。武蔵野に土地勘のない僕は、広げた本のページに車窓から差し込む陽射しが反射して眩しくて見ていられない冬晴れの井の頭線に揺られて、吉祥寺へと向った。
先に「広げた本のページに車窓から差し込む陽射しが反射して眩しくて見ていられない」と書いたけれど、そうした現象は低い角度から鋭く差し込む陽射し特有のもので、つまり冬にしか起らない。確かに秋は過ぎ去った。そのことは、公園内を歩いていても影の輪郭や陽射しが水面に乱反射する仕方等で十分に感じることが出来たので、なんだか紅葉だけが秋の季語として取り残されているような感じだったのだけれど、それでも紅葉そのものは美しいといえば美しかった。
公園は、平日だというのに平日にしては十分な利用者がいて、また利用のされ方をしていた。僕自身も、そんな人々や池の光を眺めながら、十分に楽しんだ。園内の自然文化園では、風邪を引いて咳ばかりしているヤギや、通る度に靴下のような強烈な臭いを放つヤマアラシや、とても自然界では生きてゆけそうにない緩慢なイリオモテヤマネコ等を間近に見ることが出来て、ズーラシアなんかよりはよっぽど面白かった。
武蔵野というのは独特のカルチャーがあって、それは昨今試みがはじまっているような自治やコミュニティーのあり方を可能にさせている一方、地域外の人々にはどこか「閉じている」印象を与えているように思う。今回訪れた「井の頭恩賜公園」も「ハーモニカ横丁」も「別にこのままでいいんじゃないの」と僕は思ったわけだけれど、地域資源が「閉じている」カルチャーにラッピングされていることに満足していない地域内の人々もいるわけだし、彼らにしか感じられない危機感や予感や事情のようなものもあるだろう。
いずれにしても「このままでいい」ようなものは世の中には1つもなく、このままにするならばこのままにするように積極的に働きかけなければならないので、さてどうしよう等と思いながら東大駒場キャンパスで本を物色して、その日は終わった。
H.










