晴れた土曜日の午後に思うこと
2007年8月 4日 15:39 - cityside (office)
最近は、大学に加え、
短大・専門学校・高校の経営者や教職員や生徒に接する機会が増え、得る物も多いのだが、
一方、そこで1番に驚いたことは、
20歳前後の短大生や専門学校生の多くが、
親や教師から1度も「勉強しなさい」と言われたことがないらしい、ということだった。
僕が大学時代に教え込まれた唯一のことが「勤勉さ」(実現されているかどうかは兎も角として)
だったことからすれば、随分と掛け離れた状況だが、
そうした学生の通う教育機関の多くは、
学校経営者が、教育者としての視座も、専門家としての視座も、
社会人としての視座も持ち合わせてはいないといったケースが殆どで、
卒業した生徒の受け入れ先である企業も、
良心に関しては同程度しか持ち合わせがないということを考え合わせれば、それも頷ける。
年々、就職活動の開始時期が早まるなかで、
落ち着いて授業の出来る期間は、専門学校では1年、4年制大学でも2年とちょっとという有様だから、
体系的な知識とそれに基づく視座を身に付けるには、やはり無理があると言わざるを得ないだろう。
しかし、だからといって、「学ぶ」ことの大切さを教えなくていいということにはならない。
「学ぶ」とは一生の行為であり、
そのことの大切さと喜びと手掛かりを教えるのが、教育機関の役割でもあるからだ。
もしも、このサイトをティーンエイジャーが見てくれていたら、覚えておいて欲しい。
これから続く人生の如何なる場面においても、どんな状況にあっても、「学ぶ」ことは出来る。
「学ぶ」とは、世界は自分以外のことで溢れていて、
ましてや自分の為にあるのではないということの芳醇さを知ることであり、
同時に、過去や他者や離れた場所と関係を持つことでもある。
そして、それは、より自由へと向かう行為なのだ。
世界は広く、複雑で、解消されることのない矛盾や葛藤や対立に満ちている。
しかし、それ等を簡略化した先に道はない。
教育機関のこうした現状を、知人の料理人や美容師に相談したところ、
『専門学校なんて、そんなもんですよ。生徒のことを「1教室いくら」としか見てないんだから。』
と言われてしまった。
そうかもしれない。
しかし、良くも悪くも素直で妄信的な学生、
社会や他者や自分自身にコミットメントしてゆくには、あまりに情報も注意深さも不足している学生、
今も今後も、学校と企業のシーズに翻弄されるだろう学生を目の前にすると、
これでいいはずがない、と思わずにはいられない。
繰り返し繰り返し考えたい。これは、僕たちの問題でもある。
企業活動として、具体的に対峙する方法はないかと考え、
先ずは、オフィスにインターンシップ制度を設ける検討をはじめた。
(晴れた土曜日のオフィスは、静かだ。)
H.


