ビジネスの言語、アートの言語
2007年7月24日 10:19 - creationside (art)
ホテルオークラ別館の並び、
泉ガーデンの向かいにある会員制クラブ「東京倶楽部」の
レクチャー・ランチョン・ミーティングにお招きに与った。
ゲストスピーカーは、キュレーターで森美術館館長の南條史生さん。
前半は、今年上半期に行われたヨーロッパのアート・イベントのレポート、
後半は、現代美術のマーケットについて、というのがお話の内容だった。
ヴェネツィア、カッセル、ミュンスター、バーゼル、、、。
今年のグランドツアーの様子は、同じく国際的なキュレーターである
清水敏男さんや逢坂恵理子さんから既に伺っていたが、それにしても羨ましい限りだ、、、。
パワーポイントによるレポートを終えると、南條さんは経済界のお歴々を意識されてか、
モダニズムの終焉、マルチ・チュード、等の学説に絡めて、
ファイナンスと現代美術作品、国家のプレゼンスと現代美術作品、といったことを、
経済学部ご出身の南條さんらしい手際の良さで話され、
それまでポカンとしていた聴衆にも、途端に双方向的なムードが広がった。
流石と言うより他はない。
さて、このように、アートとビジネスは我が国においては共通言語を持たない。
従って、両者は、コミニュケーションを持たないか、
あるいは、持つとしても経済的に優位であるビジネスの土壌において、
その言語を用いて行われるのがやっと、という現状にある。
かく言う僕も、文化事業を行う際には
何とかして経済的に非合理的なイメージを扶植しようと躍起になるし、
企業や行政に向けてトリッキーなネゴシエーションを試みたりもする。
しかし、実のところ、こうして使われるロジックは、
大企業を含めた官僚的組織のオートメーションに合わせた手続きの為のテクニックとしての側面が強く、
その妥当性や非妥当性を双方で信じているかといえば、まあ、そうではない。
そんなことは暗黙の了解と言えばそれまでだが、本当にそれでいいのだろうか。
そして、本当にこうした努力は結実するのだろうか。
あらゆる産業においてビジネス・モデルの構築が不可欠なことは言うまでもないが、
正直、アートがファイナンスの対象となる日が来るとは考え難いこの国で、
隙間を縫うようにして行われるネガティブ・スタンダードとしての方法論で出来ることには、
どのみち限界がある。
そうではなくて、アートの強みは、寧ろアート自身にこそあるのではないか。
アートが呼び起こす身体や感情についての叡智や尊厳といったことを真っ正面から示すこと、
経済のロジックに組み入るのではなくて、
経済よりも人間が重んじられる、組織よりも個人が重んじられる、
そうしたもう1つの世界像を見せることにこそ、
根源的な説得力があり、方法論としても実は近道なのではないか。
などと言うと、随分とオプティミスティックに響くが、
ミッドタウンのオープニング・シンポジウムでの
彫刻家の安田侃さんと清水敏男さんの対談に接して以来、
ずっと何かが引っ掛かっていて、そんなことを考えている。
H.



